· 

褒めることの功罪

自分の行動や成果に対して、上司や仲間から褒めてほしいと思うことは悪いことではありません。

誰かから認めてもらえれば胸の奥が満たされるし、褒められればやる気も出てきます。

 

こうしたことを社内で推進するため、社員に褒めるトレーニングを受けさせている企業もあります。

 

しかし、褒めるという行為には注意が必要です。

 

例えば、褒めることで、褒められた人のやる気を下げることがあります。

 

もし、あなたが大した成果を上げていないと自覚している場合や、それほど努力をしていないと思っている場合に、褒められたとしたら、どう思うでしょうか?

 

 「これぐらいのことで褒められても嬉しくない。」

 「この人(褒めた人)はそれほど自分のことを観ていない。」

 

褒められた人の中には、こんな風に感じる人がいるのです。

 

また、大きな成果を上げていないにもかかわらず、褒められてしまうと、何かを成し遂げたような錯覚に陥ってしまい、褒められた人が手を抜いてしまうこともあります。

 

その他にも、誰かを褒めることで、褒められなかった他の人々への影響を考慮しておく必要があります。

 

 

 

本田宗一郎氏に関する次のようなエピソードがあります。

 

あるとき、彼が工場を訪れると、NSXというスポーツカーの開発に携わった数人の技術者の写真が飾ってありました。その写真には、「選ばれしものが作ったNSX」と書かれていました。

 

彼はその写真を見て、

「全従業員の写真、食堂のおじさん、トイレ掃除のおばさんの写真はどこにある」と激怒したそうです。

 

「彼らのおかげで、みんな気持ちよく仕事ができている。」

「それなのに一部の人だけを写真にして飾る。」

 「選ばれなかった社員たちも、やる気をなくし、不満を言うだろう。それが企業では一番怖い。」 

「人間の達人 本田宗一郎」 伊丹敬之 (著)より

 

褒めるという行為には、様々な良い効果がありますが、決して万能ではないことを留意しておかなければなりません。

 

褒めなければ人は育たないとすれば、

世の中で活躍している人たちは、誰かに褒められ続けた結果であるはずですが、実際に第一線で活躍している人々の中には、若いころは叱られてばかりであったと話している人もいます。

 

無理して褒めようとするのではなく、相手を認めることを意識してみてはどうでしょうか?

 

褒めることは、その対象が主に相手の行為や結果にあります。

 

一方、認めることは、その対象が行為や結果だけでなくプロセスにもあります。

 

また、認めるとは、相手を尊重することに他なりません。

 

叱るという行為も、相手の存在を認めていて、観察してもらえているからこそ、叱ってもらえるのです。

相手の存在を認めていないのであれば、それは叱るではなく、単に怒っているだけでしょう。

 

組織の中で、褒める練習をすることは悪いことではありませんが、褒めることのデメリットや、何でも褒めればいいわけではないことをよく認識しておかなければなりません。